沿革
1922年(大正11年)
船越義珍 東京にて唐手初公開「琉球拳法唐手」*発刊
1924年(大正13年)
慶應義塾「唐手研究会」発足(船越義珍師範就任)
1925年(大正14年)
「錬胆護身唐手術」*発刊
1928年(昭和3年)
三田物置を改造「道場」とする(俗称カンテラ小屋)
1929年(昭和4年)
5周年記念大会にて唐手を「空手」と改称、さらに人格陶冶、完成に至る「道」であるという概念を導入し「空手道」という名称を内外に宣言。
那覇手(剛柔系)の三戦、百〇八(スーパーリンペイ)、転掌を含む、セーエンチン以外の現在の全ての持ち形明記。このうち「木枯」(創作形)、「多和田のバッサイ」は失伝。
1930年(昭和5年)
「因敵転化」扁額、「拳」(部内研究誌第1号発行)
1932年(昭和7年)
2月 「空手研究会」塾内対抗競技部として承認
10月15日 「体育会空手部」として承認
同時に先輩団体として三田空手会発足
1933年(昭和8年)
屋比久孟「周氏、佐久川の棍」教授
1934年(昭和9年)
三田道場建設
1935年(昭和10年)
摩文仁賢和「セーエンチン」教授
10周年記念大会。「空手道教範」*発刊
1936年(昭和11年)
「空手道集成」発刊
(沖縄にて正式に唐手を「空手」と改称・宣言)
1937年(昭和12年)
日吉道場建設
1951年(昭和26年)
日吉道場建設(2回目)
1957年(昭和32年)
第1回全日本大学選手権開催。本塾準優勝(流派を越えた本邦初の公式空手競技)
1958年(昭和33年)
日吉道場建設(3回目)、小金井工学部道場建設
1960年(昭和35年)
(復活)第1回早慶空手定期戦
1963年(昭和38年)
信濃町道場建設
1968年(昭和43年)
三田新道場建設
1972年(昭和47年)
工学部道場取り壊し(工学部日吉移転による)
1974年(昭和49年)
空手部50年史発刊
1992年(平成4年)
日吉道場改築
1999年(平成11年)
空手部75年史発刊
2003年(平成15年)
信濃町道場改築