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走馬灯

  • keiokaratemanager
  • 2025年12月4日
  • 読了時間: 14分

主務・商学部4年 志村侑悟

 

まず初めに、平素より多大なるご支援、ご声援を賜り誠にありがとうございます。

慶應義塾體育會空手部に関わる全ての皆さまに心より感謝申し上げます。

 

12月7日の早慶空手定期戦が私の空手人生の最後の試合になります。

引退を前に、私の空手人生を振り返ってみたいと思います。

ここからは、未来の自分への備忘録として、相当な量の自分語りなので、ご了承ください。

(※同期は、この引退ブログを読んで「長すぎる」といじらないように。)

 

○幼少期

私が空手を始めたのは4歳のときでした。

友人が習っていた空手道場に足を運んだのがきっかけです。その道場が一友会という名門道場だということはこの時はまだ知る由もありませんでした。

父親が、いわば殴り合いが行われている練習風景を前に心配する中、私は耳も貸さずに「やりたい」と言って聞かなかったようです。

 

○小学生

しばらくはただの「習い事」という認識に過ぎませんでしたが、小学2年生で初めて出場した東京都大会でベスト16に入賞した際、友人が準優勝し全少出場を決めたことで、全国を意識するようになりました。

 

しかし、強くなろうと思えば思うほど、現実は過酷でした。

 

道場の強化選手の中から代表を決める選考会では、負け続けました。それどころか、最下位決定戦なる残酷な戦いでも敗れ、気付けば“最弱”の烙印を押されていました。涙を見せていたかは覚えていませんが、とても惨めであまりにも恥ずかしかったのを覚えています。

都大会でも、結果はいつもベスト8止まり。3年連続で壁を越えられず、関東にも全国にも届きませんでした。東京都の強化選手選考会も何度挑戦しても不合格。努力しても報われない現実が次々に待っていました。

 

私には弟(志村尚悟=学1)がいます。

私が負けているとき、弟は勝っていました。

私が賞状をもらうとき、弟はメダルをもらっていました。

気付けば私は、「尚悟くんのお兄ちゃん」でした。

兄として弟の一歩前にいたいのに、いられない。

それもまた、もどかしさの一つでした。

 

それでも、空手をやめようとは思いませんでした。負け続けても、どこかで「次こそは」と信じていたからです。自分が諦めた瞬間、ここまで積み重ねた汗と涙がすべて無駄になる気がしました。

 

そして、迎えた小学生最後の都大会。

長いトンネルの先に、ようやく光が見えました。都大会で初めて3位に入り、念願の関東大会への切符をつかんだのです。あの瞬間、視界が開けた気がします。関東大会では5位。表彰台には届きませんでしたが、自分の努力が確かに形になったと感じました。

ちなみにこのとき、弟は優勝しています。

 

○中学生

中学生になると多くの人が別の競技に転向したり、部活として空手を続けたりします。私は空手部のない中高一貫校に進学し、道場には同年代の練習相手がいなくなりました。

それでも私はただ一人道場に通い続けました。

物足りなさを感じた私は、思い切って東京大学空手部の門を叩き、出稽古に参加させていただくことになりました。今振り返ると、まだ中学生の自分がよくそんなことをできるな、と思いますが、そのときは不安や心配はありませんでした。

そして中学3年生、ついに小学5年生から挑み続けた東京都強化選手選考会で、念願の強化選手に選ばれました。5度目にして最後の挑戦です。ようやく掴んだ「選ばれる」という感覚。

その年は勢いに乗り、アジア2位の日本代表選手や各県のトップ選手にも勝つことができました。あれほど遠く感じた強豪たちの背中が、手を伸ばせば届きそうなところにありました。

しかし、全中予選ではまさかの判定負け。相手は道場の後輩でした。全国を狙える位置にいたからこそ、その敗北は胸をえぐるように悔しかったです。試合後、周りの目も気にせず号泣してしまいました。

 

○高校生

高校に進学すると、新たな壁が立ちはだかります。空手部のない学校の生徒は、高体連主催の大会に出場する資格がないという問題です。

そこで学校に直談判し、高体連登録ーつまり「一人空手部の創部」を認めてもらいました。

顧問の先生は土日に行われる大会に帯同、さらには係員をやらされるという状況の中で受け入れてくれました。他の学校で同様のことはまずありえません。本当に恵まれていたと思います。

実体のない部活なので、普段は陸上部に所属し、走りこんでいました。その後に大学空手部や東京都強化の練習に足を運ぶ日々。

強豪校の選手たちは毎日部活漬けの環境にいる中で、あまりにも差のある練習環境でした。限られた時間の中で、質の高い練習を心がけていた気がします。

そして高校1年生の秋、新人戦では強豪校の選手たちを破り、軽量級で3位入賞を果たしました。

 

しかしその後は目立った成績も残すこともできず、コロナ禍に突入。これにて私の空手人生は終了。

 

 

のはずでした。

 

○大学生

それでも、心のどこかで空手への熱は冷めきっていませんでした。結局、私はまた道着を着て、慶應義塾體育會空手部に途中入部しました。念願の「空手部」。しかし、やはり最初は勝てませんでした。初めての練習試合では0-10という信じられない敗戦をしました。その後の関慶戦と早慶戦では勝てましたが、公式戦ではメンバー入りすらできない1年でした。過去の結果やプライドを捨て、ゼロから強くなる覚悟を決めました。

 

2年生の春、東日本で初めてメンバー入りしました。しかし結果は駒澤大学に惨敗。練習してきたことが何もできていない、最悪の負け方で、その点をコーチにも厳しく叱られました。

しかし、その悔しさをバネに、秋の関東団体では同じ大学、同じ相手と大将戦で再び対峙し、ついに勝利することができました。嬉しいという感情はもちろんのことですが、ほっとしたというのが正直なところでした。

どうやらこれで、色々な大学に「慶應の志村」というのが知られるようになったらしいです。

 


続く全日本団体では、準々決勝で常勝軍団、帝京大学と対戦。大将戦で引き分け、チームは総得点で惜敗しました。「勝てるかもしれない」と思った瞬間に、頭が真っ白になってしまいました。終わったあとは悔しさと後悔から、しばらく眠れない日々でした。それでもこのシーズンは、チームとして関東、全日本ともにベスト8という結果を残すことができました。

3年生でも関東団体ベスト8。最低限の結果ではありましたが、自分の中で自信が確かに芽生え始めていました。

 

そして迎えたラストイヤー。主務としてチーム全体を支えながら、自らも選手として戦う日々が始まりました。深夜まで続く業務、就職活動、ゼミ、練習。日々のすべてを全力で回すしかありませんでした。

 

また、弟が入部してくれました。 

私が強引に入部させました。「兄弟で日本武道館で勝つ」、もう一つの目標ができました。

 

シーズン初戦となる六大戦では、チームの現状と課題が明らかになりました。

東日本では、私含めて全員が逆転負けを喫し、ベスト16止まり。「もう少し」、この厳しさを痛感しました。

 

慶應が会場となった関東個人では、自分の試合を控えていながらも、運営面の対応に追われました。

試合の前夜もLINEと電話が鳴りやまず、当日も早朝からトラブル対応に追われました。この試合に敗れ、全日本個人はDivisionⅡでの出場となりました。もちろん悔しかったですが、DivisionⅡというのが自分の身の丈に合っているのだな、と感じ、このとき優勝を決意しました。

 

学連最初で最後の入賞
学連最初で最後の入賞

優勝を目指した全日本個人は、私が心から信頼する内田コーチに監督席に付いていただき、「俺が付いてるから負けるなよ」という檄がいい意味でのプレッシャーとなりました。1回戦からインハイチャンピオンとの対戦。ブザービートで1点をもぎ取り、なんとか勝つことができました。岩本が春シーズンずっと練習メニューに入れていた中段の先の先で、です。それも何だか嬉しいことでした。

その後も厳しい戦いが続きましたが、5位入賞できました。優勝を目指していた中で、準々決勝は残り9秒での逆転負け。

無念でしたが、学生初の入賞に、どこか安心する自分もいました。


最後の夏合宿は厳しくも、全員で乗り切りました。秋に向けた準備は万端、その自信は練習の質、量のどちらからも裏付けられたものでした。

 

2025年10月14日。関東団体。優勝を目指しつつも最低限は全日本出場権獲得。

 

1回戦 VS関東学院大学 副将で出場。

 

1勝1敗1分で回ってきました。私がしっかり勝利し、大将戦に繋ぐ、それだけでした。

得意パターンで2点を先取し、2-0で迎えた残り8.8秒。私が一発反則を喫し、敗れてしまいました。

 

2-0の表示が一瞬にして0-6に転じました。

時が止まったような、その場から逃げ出したいような、地獄に落ちたような、そんな感覚でした。チームもそのまま敗退。

 

目標:「全日本優勝」

結果:「関東1回戦負け」

一番遠いところで終わってしまいました。

 

無力感、罪悪感、呆然、後悔。どんな言葉でも語ることのできない気持ちで心が潰されました。

4年間必死こいてやってきた結末がこれだとは。

全員、油断などしていませんでした。1回戦が1つ目の山場だということも分かっていました。それでも、「まさか」という言葉に尽きます。

私が、みんなの人生を壊してしまいました。私の責任です。本当に申し訳ございません。

 

 

学連から送られてくる全日本出場校一覧というファイルを何度もリロードしてなんとか滑り込んでいないか祈ったり、

 

スケジュール帳の「全日本団体」という予定を消すか消さないか迷ったり、

 

負けた試合を何度も見返してため息をついたり、

 

 

そんな虚しい日々が待っていました。

 

 

ただ、私はこの4年、特にこの1年本気でやってきたことは誇りに思います。結果が出なければ、やってきたことが間違っている。勝負の世界では当たり前のことです。そんなことはわかっています。でも、それがどうしても受け入れられないのです。 

 

岩本が主将として苦しんでいる姿を見てきました。

同期で一緒にいるときも、空手部の話の割合が日に日に大きくなってきました。1年生のときに愚痴ばかりこぼしていた私たちが、空手部のことを最優先に考え、ああしようこうしようとたくさん議論してきました。

後悔は少なからずあれど、やり切ったという感覚がある以上、これまでの過程に、誇りを持っています。 

 

もちろん、誰一人としてこの結果に納得なんかしていません。モチベーションが低下した者もいます。

ただ、私は関東団体の戦犯として、最後までファイティングポーズを取り続ける義務があると思います。

 

早慶戦では、しっかり熱のこもった戦いをお見せします。

 

改めて、今までお世話になった方々に感謝を申し上げて、結びとさせていただきます。

 


○両親

空手という運命に出逢わせてくれて、ありがとうございます。

 

どんなに遠くても練習や試合の送り迎えをしてくれて、応援をしてくれて、安心して試合に臨むことができました。

勝ったら一緒に喜んでくれて、負けたら一緒に落ち込んでくれて、常に一緒に戦っていた気がします。

 

小さく産まれてきた長男は、愛情深いお父さんとお母さんに22年も育ててもらえて、ついに大学を卒業します。

空手部に入ると伝えたとき、心配そうな顔をしながらも僕の決意を応援してくれて、ありがとうございました。やり切りました。

 

どんなときも僕たち子どものことを最優先に、どんな考えも尊重してくれて、本当に素敵な家族です。ありがとう。

 

○弟

尚悟がいたから、負けられないと思ってここまで空手を続けてきました。兄としてかっこいい背中は見せられなかったけど、一緒に空手をやれて嬉しかったです。大学では同じチームとして戦えて、この1年本当に楽しかった。

残念ながら、武道館で戦えたのは1試合だけだったけど大切な宝物です。 

 

早慶戦が最後の試合、かっこいいところ見せます。

 

これからどんどん部活は厳しい状況になるけど、尚悟が中心となって空手部を守ってください。心を強く持って。

 

○袴田先生

これを読んでくださっているかはわかりませんが、先生の道場に足を運んだ日から、私の空手人生が始まりました。あのとき優しく教えてくださった袴田先生のおかげで、空手をやる決心がつきました。

人間的な部分も教えてくださり、ありがとうございました。

関東で負けたあとの、「侑悟は袴田道場の自慢の生徒です。」というLINEを見たとき、涙が溢れてきました。

これからも袴田道場の生徒として、道場に足を運びます。

 

○東大空手部の先輩方

よくわからない中学生のことを受け入れてくださり、ありがとうございました。そのおかげで、中高と空手を続けることができました。試合で勝ったとご報告すると一緒に喜んでくださったのも嬉しかったです。

東大には残念ながら受かりませんでしたが、「浪人して一緒に空手をやらないか?」とzoomでお話ししてくださったときは、心の底から迷いました。と同時に、僕のことをここまで必要としてくださる状況も嬉しかったです。

先輩方のご期待に添えられず、申し訳ございませんでした。東大空手部創部100年、おめでとうございます。

 

○両国高校でお世話になった先生方

いつも授業や部活でお忙しい中、空手の試合に引率していただき、ありがとうございました。さらに、勝手のわからない係員までしていただき、本当に感謝しています。

大した結果が残せず情けない姿ばかりで申し訳ございませんでした。

 

○三田空手会の先輩方、指導陣の先輩方

4年間、大変お世話になりました。私たちが何不自由なく空手に打ち込めているのはひとえに皆さまの多大なるサポートのおかげです。特に今年1年主務として部に携わる中で、先輩方がいかに現役部員のことを考えてくださっているかを強く感じました。

指導陣の先輩方は、競技力だけではなく、社会に通用する人間力まで育ててくださいました。部活に打ち込む中で自分に自信が持てるようになりました。

今後は私も1人のOBとして、先輩方と同じように空手部に無条件の愛を注いでまいります。

 

○体育会各部のみんな

あまり体育会という組織に帰属意識を持たないまま3年間を過ごしてきました。今年になってから色んな部活の同期と仲良くなって飲んだりするようになりました。空手部だけではどうしても行き詰まってしまう部分がある中で、他部のみんなと話すことで新たな活力が生まれてきたことが何度もありました。とはいえ数としては全然飲めていないので、これからどんどん飲み行きましょう。

 

○空手部の先輩方

ご指導いただいたこともまともにできず、たまに口答えとかして、飲みもあまり行かない、全然かわいくない後輩だったと思います。

でも、懲りずに親身にご指導いただき、試合で勝てたときはすごく褒めていただき、先輩方からたくさんのことをいただいてきました。

先輩方から受けてきたことの恩返しとして、この1年部活のことを考えてやってきたつもりですが、部運営はとても難しく、先輩方の偉大さを強く感じる1年でした。

これからも社会の先輩としてご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

○後輩

お疲れ様でした。

いつ機嫌がよくて、いつ悪いかわからない、厄介な先輩だったと思います。至らないことばかりの1年だったけど、何か残せていたら嬉しいです。特にマネージャーのみんなは、主務がこんなのだからたくさん迷惑をかけたし、助けてもらいました。みんなのおかげでなんとかなりました。ありがとう。

 

1つ伝えておきたいのは、うまくいくことばかりじゃないということ。

この1年、みんなの希望にはなるべく応えてきたつもりです。でも、そもそも当たり前のこと(日々の練習、慣例行事、試合出場...etc)ですら地道で大変な作業がいくつもある以上、+αのことを実現するのは決して簡単ではありません。

 

試合も、今年のように「まさか」が普通にありえます。

 

他にも、自分の思い通りにいかないことが普通です。だから、「うまくいかない」っていうのを前提としてみてください。そうしたら、うまくいったときすごく嬉しいと思います。

 

ごはんいつでも行きましょう。

 

○同期

学1の途中から突如入ってきた奴をすぐに受け入れてくれてありがとう。

「学1の夏合宿」という、1番過酷なことを乗り越えてきたみんなのことを心から尊敬しています。そこだけは本当に尊敬してる。

何か嫌なことがあったらすぐに愚痴をこぼすことができて、1人のことは全員で守って、とにかく仲の良い同期だったな。

この1年何が間違っていたのかな、って最近よく話すけど、本当に何だろうね。この悔しい経験を一緒にした、してしまったのが逆に一生の思い出になるならそれでもいいやと思う。

関東からここまで、本当にしんどかった。

 

見た目に反して超素直でまっすぐな遼、

色んなことを気軽に相談できる右京、

常に笑顔で超ポジティブな颯、

いつも献身的にサポートしてくれた愛乃。

 

早慶戦、最後にみんなで戦えるチャンスだから学4は全員勝とう。愛乃は声を枯らして応援して欲しい。

 

終わったらバイトがんばってお金貯めましょう。

 

 

今ここに書ききれなかった方々も含めて、様々な方にお世話になりました。ありがとうございました。

 

今振り返ると、空手人生18年間、印象深いことがありすぎました。

辛いことの方が多かったけど、空手がある人生でよかったです。

 

 

全部、走馬灯として脳裏によぎってくる気がします。

すごく厳しく、すごく楽しい空手人生でした。

 

 

12/7(日)第84回早慶空手定期戦 @早稲田アリーナ

全力で戦います。

 

慶應義塾體育會空手部主務 志村侑悟

 
 
 

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