私の宝物
- keiokaratemanager
- 2 日前
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法学部政治学科4年 徳山 愛乃
平素より大変お世話になっております。
慶應義塾體育會空手部副務の徳山愛乃です。
決して楽とは言えない空手部生活でしたが、気づけばあっという間に引退ブログを書く日を迎えました。
・幼少期

私は小学一年生の冬から、慶應義塾幼稚舎空手同好会に所属しておりました。
初めての寒稽古では、氷のように冷たい床の感触や、先輩方の気迫に圧倒され、強烈な衝撃を受けたことを今でも覚えています。
先輩に付きっきりでご指導いただきながらも、なかなか力強い突きや手刀受けができず、気合いの声も驚くほど小さいままでした。成長しない自分が悔しくて、何度もやめたいと思った時期もありました。それでも続けてこられたのは、OBOGの先輩方や大学生コーチの存在が本当に大きかったからです。OBの先輩方は、まるで孫のように私を大切に育ててくださり、当時の「黒帯を取りたい」という目標も、いつしか私の心を支える原動力になっていました。小学六年生で迎えた最後の進級審査では、黒帯取得という目標はもちろんのこと、何よりも「小さくて弱かった私をここまで導いてくださった先輩方への感謝」を強く胸に抱いていました。無事に初段を取得し、六年間ずっと憧れ続けた黒帯を締めた瞬間の喜びは、今でも忘れられません。また、自分の意見を主張することが苦手だった私に、最後の一年間、主将という大きな役割を任せていただけたことも貴重な経験でした。最後の稽古で後輩たちから色紙を受け取ったとき、人生で初めて嬉し涙を流したことは、今でも大切な思い出です。幼い頃から空手を通じて得た経験や学びは、今の私を形づくる大きな力となっています。
・大学生
私が空手部へ途中入部した理由は、創部百年の節目の年に、私の原点である慶應空手部に恩返しをしたいという想いからでした。実は、入部のきっかけは2年生の冬に突然お送りした、瀬川総監督への一通のメールでした。「久しぶりに空手の稽古をさせていただけませんか」。ありがたいことにすぐに快くお返事をいただき、三田綱町道場での稽古に伺うことになりました。当時、私は別のサークルに所属していましたが、「自分が本気で向き合えるものは何なのか」が見えず、自分自身を見失いかけていた苦しい時期でした。最初は選手として入部することも考えました。しかし、2年遅れて入部し、選手として恩返しをしようと考えるのは甘いのではないか、と思い直しました。では、自分がこの部にとってどのような存在であれば、最も価値や存在意義を発揮できるのか。熟考を重ねた末に出た答えが、「マネージャー」という役割でした。社会人になる前に"人や組織を支えることがどれほど大変で、どれほど尊いか"を知る最後のチャンスだと思い、入部を決意しました。

通常より遅れての入部だったので、「遅れを取り戻さなければ」「人一倍貢献しなければ」という気持ちが常にありました。空手部への思い入れが強い一方で、自分自身に大きなプレッシャーをかけていたように思います。
入部後の1年は本当にあっという間で、気づけば4年生として幹部の一員になっていました。空手部の運営に携わらせていただいていることへの深い感慨とともに、その責任の重さを強く感じていました。初めの頃は、幹部として後輩たちをまとめていけるのか、不安ばかりでした。副務として、そしてマネージャー統率として、どのように行動すべきかを日々考えさせられました。
時には、後輩を育てるために厳しく指導しなければならない場面もありました。しかし私は、幼い頃から自己主張や感情を表に出すことが得意ではなく、なかなか「叱る」ということができずにいました。そんなとき、ある先輩から、「一番上が緩いと全体が緩くなる。愛乃が締める立場だよ」とご指導をいただきました。その言葉が胸に響き、「私がやらなければいけないのだ」と強く決心することができました。そこからは後輩マネージャーの仕事ぶりや態度により気を配り、指摘すべきところはしっかり伝えるよう努めました。その中で、成長や良い面がどんどん見えてくるようになり、その変化をそばで見守れることが私自身の喜びにもなりました。素直で吸収が早い後輩たちの姿に、たくさんの刺激をもらっていました。
後輩マネージャーの成長を見守る中で、私自身の気持ちにも大きな変化がありました。
関東団体で慶應が敗れてしまった際、涙をこらえて前を向く選手たちの姿に胸を打たれました。マネージャーである私が、思わず涙を流してしまうほど心が動かされ、この部を支えたいという気持ちが自分の中でどれほど大きくなっていたのかに気づかされました。「貢献しなければならない」という義務感から、「心から貢献したい」という純粋な想いへと変わっていったことを実感し、主役ではなく裏方として情熱を注ぐことの喜びを、この空手部で初めて知ることができたのだと思います。ここまで情熱を注ぎ続けることができたのは、お世話になった先輩方や関係者の皆さまへの恩返しの気持ちはもちろん、日々真剣に空手と向き合う部員の存在があったからこそだと感じています。
・同期
同期の中で女子は私だけだったこともあり、初めは少し距離を感じてしまう部分もありました。それでも、入部してすぐに積極的に話しかけてくれて、緊張していた心がふっと軽くなったことを今でも覚えています。
練習終わりのたびに「今日もありがとう」と感謝の言葉を必ずかけてくれた颯。ムードメーカーでありながら、いつも周りを優しく気遣ってくれた右京。圧倒的な実力とリーダーシップ、そして大人の余裕を併せ持ち、心から尊敬している遼。選手でありながら主務として運営面でも支えてくれ、毎日一緒に頑張ってきた侑悟。同期がこの4人だったからこそ、私はこの2年間を本気で走り抜けることができました。この部を支えたいと心から思えたのも、みんなの存在があったからです。早慶戦では、全員が勝利し、嬉し涙で最終戦を飾る姿を心の底から願っています。私も最後の最後まで気を抜かず、全身全霊でサポートします。引退した後も、ずっとずっとみんなのことを応援しています。本当にありがとう。
・後輩
ひたむきに努力を続けるみんなの姿は、私にとって大きな励みになっていました。マネージャーの私にも気を配ってくれたり、礼儀正しい中でも明るく話しかけてくれる人が多く、その温かさが日々のモチベーションになっていました。勝利を目指して真剣に稽古に励み、確実に強くなっていくみんなを尊敬しています。
特に関わりの深かった後輩は、女子主将の英莉とマネージャーの麻陽です。英莉は本当に心の優しい子で、周りの人のために一生懸命考え、悩むことも多かったと思います。それでも空手の実力も統率力も着実に伸びていき、その成長を間近で見守れたことが、本当に嬉しかったです。引退してもずっと応援したいと思える後輩に出会えて、幸せに思います。麻陽は、まさに"敏腕マネージャー"でした。常に全体を見渡し、必要な行動を自ら考えて動いてくれる姿に、どれほど助けられたかわかりません。困った時に相談してくれたり、頼りにしてくれたこともとても嬉しかったです。むしろ私の方が麻陽から学ぶ場面も多く、毎日良い刺激をもらっていました。侑悟を含め、3人で力を合わせて頑張ってこられたことも、私にとって大きな支えでした。本当にありがとう。
・OBOGの先輩方

日頃より空手部への温かいご支援とご指導を賜り、心より御礼申し上げます。
副務として部の運営に携わる中で、会合費などのご支援、日々の部活動を支える環境整備・差し入れなど、部の隅々にまでOBOGの皆さまの想いが息づいていることを、身をもって感じてまいりました。
目の前の業務に追われて不安になる日もありましたが、OBOGの皆さまの温かいお言葉や、信頼してくださっているお気持ちに、何度も背中を押していただきました。部員たちが安心して稽古に励み、挑戦し、成長できる環境があるのは、皆さまの長年にわたるご支援のおかげです。微力ながら、その一端を担えたことを誇りに思うと同時に、この伝統ある部に携われたことを、心から幸せに思っております。引退後も、OBOGの皆さまのご厚情に恥じない生き方をしていきたいと思います。
これまで本当にありがとうございました。これからも変わらぬご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。
・最後に
「私はどうして空手を始めたんだっけ」
ブログを書きながら、ふとそう思いました。
あの頃の私は、ただ強くなりたい一心でした。
けれど今になって、強さよりもっと大切なものをこの場所で教わったように思います。
仲間を大切にする優しさ、
誰かを支える喜び、
責任を持って行動する勇気。
この部活で学んだことは、数えきれないほどあります。
空手部で培った経験や学びは、これから何かに迷ったり立ち止まりそうになった時、背中を押してくれる気がしています。
これまで支えてくださったすべての方々に、心より感謝申し上げます。
空手部で過ごした日々は、私の人生にとってかけがえのない宝物です。
この場所で学んだことを胸に、これからの人生もまっすぐに歩んでいきます。
本当にありがとうございました。
慶應義塾體育會空手部副務 徳山愛乃







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